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大学教員として生きる道

著者は私大の准教授です。大学教員になるまでの経緯、日常の出来事などを記録します。

修士論文の審査

修士論文の審査を委嘱されている.

修士は頑張ったで賞,博士はそれに見合う内容と質が求められるという話を聞いたことがあるが,頑張ったで賞である修士の学位を修得する上で一番大切なことは何であるかを考えてみる.

 

文部科学省の大学院設置基準第三条によると,

 

修士課程の目的は「広い視野に立って精深な学識を授け,専攻分野における研究能力またはこれに加えて高度の専門性が求められる職業を担うための卓越した能力を培うことを目的とする.」とある.

 

一方,博士課程は,「専攻分野について,研究者として自立して研究活動を行い,又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする.」とある.

 

どっちがどう違うのか,何度か読み直してみてもどちらともとれるような定義であるが,一つだけ違うところは,自立した研究活動,つまりは研究費の獲得や研究遂行のマネジメント的な要素が博士には含まれるのかな,と解釈できるのではと思う.博士の場合,大学にもよるのだが厳しいところだとインパクトファクター付の国際誌に3本,だとか,易しいところだと国内誌でも学術振興会登録学会にアクセプトされていることなど,の条件がある場合もある.しかし,よく考えてみると学会誌の審査を条件の一つに入れているということは,博士号を出す大学側の審査をサボっているとも解釈できるのではとも思う.修論については,学会誌のアクセプトを条件にしているというのはあまり聞かない.個人的には学会誌へ掲載できるレベルは担保する必要があると感じるが,修論は学生の自由な発想で進める割合が多いので,あれもこれもやってスリムでない研究が多く,学会誌向きではないように感じることが多い.このあたりが,頑張ったで賞といわれる所以かもしれない.

 

さて,審査する側の立場として大切な立ち位置,指針としては自身が審査を受けたときの主査,副査の先生方にしていただいたことが一つの基準となる.学会誌の査読とは違い,修士論文の審査には教育的な視点が必要だろう.研究の視点,ロジック,誤字,グラフ,表の作成など様々な点において,修了生が国内のどこの研究機関の職についても恥ずかしくない力をつけておくことが大切だろう.時代は繰り返されるが審査される側で育てられてきた私だが,いざ審査する側の立場にたって次の世代により質の高いアドバイスや時代に応じた指導をしていこうと思う.