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大学教員として生きる道

著者は40歳代の都内中堅私大の准教授です。大学教員になるまでの経緯、日常の出来事などを記録します。

学会発表の目的

8-9月は学会シーズンで大学の授業がないこの時期には学外に出ていることが多い.

学会に参加するポリシーとして,私は2つのことを自分に課している.

 

一つ目は「学会に行く=発表する」こと.

 

二つ目は「学会に参加する=質問をする」こと.

 

である.

 

一つ目の学会に行く=発表するは研究者である以上,当然であると思っている.発表をすることで,自分の研究について様々な指摘を受けることができ,反省点を持ち帰り次回に向けて研究をブラッシュアップすることができる.

 

人間は年をとるとだんだんと叱られることはなくなってくる.若い時は上長に,あるいは指導教員に,或いは先輩に叱られることは日常であったが,年齢を重ねるごとにその機会は少なくなってくる.そうすると,間違っているのか正しいのかを自分のみで決定していかなければならない.そのことは,一見,楽なようであるが実際には責任を伴う行為である.

従って学会発表を行うことによって指摘されることは大変名誉であると思う.

 

もう一つ,発表する目的は,マイルストンの役割も果たしている.先に演題と抄録を提出し,発表があると必ずそこに向けて自分で研究を進めることになる.人間,期限が決まっている方がそこに向けて頑張れるということがあると思う.

 

二つ目の学会に参加する=質問をすることは,一つ目の発表するの裏返しで,参加する以上は発表者に対して,気づいたことをフィードバックするべきだと思う.このフィードバックがなければ発表する意味は半減すると思う.

学会発表は,論文の公表よりもハードルが低く,基本的には発表したければ学会員であれば誰でも発表ができる.その分,質の低いものもあれば,完成度の高いものもあるし,教授の発表もあれば,大学院生の発表もある.

 

玉砕混合であるが,中には磨けば非常に優れた内容に発展が見込めるものもあるし,現時点で完成度が低くても,リサーチクエスチョンに優れた内容もある.発表者と聴講者がお互いに意見を言い合うことでより良い学会にしていくことが重要だと思う.

 

 

大学経営ってなんだ!

現場の教員として大学経営について思うことがある.

 

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少子化が進むわが国において,大学経営が困難な状況であることは国公私立を問わず生じている問題だが,特に地方小規模私大,女子大学,地方国立大学においては喫緊の課題で経営基盤を安定させることは,教育の質を担保する上で欠くことはできない.

 

某大学アメフト部の様々な不祥事が明らかにされることに加え,監督が大学経営側の最重要人物であることから,その大学の経営体制にまで物議をかましている.驚くべきことに,経営トップの理事長が大学の問題が毎日報道されているのに,表にでずにパチンコ3時間の後にインタビューに応じる場面が報じられるなどしている.

えっ,大学の経営トップが ” パ チ ン コ ” あらら・・・

いや,別にプライベートで法に触れていない以上,パチンコしようが構わなし庶民的なのは結構だけど,アカデミックなイメージがこの大学には全く感じられなくなった.

 

さらに追い討ちをかけるように,某医科大学では,入学試験において私立大学支援事業の選定を見返りに政治家の子供を水増し合格させたり,女性の合格者を減らしていたりしていたことが明らかとなった.

 

以前にも紹介したが,平成26年中央教育審議会がまとめた「大学のガバナンス改革」では,教員組織よりも経営サイドの力で大学を立て直す方向性が示されている。

「大学のガバナンス改革の推進について」(審議まとめ)(平成26年2月12日 大学分科会):文部科学省

 

一般論だが,この国の方針を後ろ盾に大学経営陣は昔よりもかなり強気な姿勢が感じられる.それが大学の経営基盤の安定化につながっていれば良いのだが,私が感じる限り,ただ学内での社会的地位が教員側よりも経営側が強くなったに過ぎないのではと思ってしまう.現場を知らない経営陣が横暴な手段で,予算,人事を動かすことで,教育現場に悪影響が生じているのではないだろうかと感じる.

 

例えば,定期昇給ストップ,過度な任期制の導入,1教員当たりコマ数の増加,専任を減らし非常勤講師の割合を増やす,オープンキャンパスや入試の開催日増加,などは短期的に見ると大学経営において,増収,増益への取り組みに思える.

しかしながら,長期的には研究業績の低下をまねき,研究業績の停滞は外部資金の獲得率の低下につながり,外部資金を獲得できないことは大学の存続にかかわる問題になってくるだろう.

あるいは教育の質の低下は,学生の力不足につながり,学生の力不足は社会人としての活躍が停滞することになり,卒業生の就職実績,就業実績の低下は大学の不人気の原因に直結するであろう.

 

このようなことからも,大学の経営基盤を安定させるためには教育力と研究力,さらには社会貢献・地域貢献が最も重要な資源である.大学の経営者は是非,これらのことを肝に銘じて,学生の親御さんが支払う学費で経営ができていること,そして教職員の生活を守り,質の高い教育と研究を進められる環境を整備することがその大学の最重要な経営資源であることを再認識する必要があるだろう.

 

 

 

 

 

 

大学経営からみた非常勤講師が増えることの問題点

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大学教員の半数は非常勤,常勤の4分の1が期限付きであることがニュースになっていた.確かに衝撃的でこのような記事がアップされると大学教員を目指す人が益々減ってしまうのではないかと危惧される.

この記事で気になったのは非常勤の人数の数え方が述べ人数であるらしいので,実際には半数には満たないと思われる.非常勤のみで生計を立てている場合は,おそらく3大学以上に勤務している可能性も高く,非常勤の中には本務校がある教員も含まれている可能性も高い.今回の調査は朝日新聞社河合塾が行ったようだが,このような実態調査は本来,文部科学省の高等教育局がもう少し正確で詳細なデータを出すべきであろう.

  

そのことを前提としても,過去の推移でみても非常勤の割合が増えて,常勤も任期制教員が増えていることの事実には間違いがなさそうだ.この記事から読み取らなければならないのは,常勤の教員数と非常勤の割合のみならず,全体の教員が増加し続けていることにも問題がありそうだ.その背景には大学全入時代の到来や,大学数自体が増えてきていることが挙げられるだろう.時代の背景の変化とともに大学が果たす役割も日々変化し続けているように思う.もちろん旧帝大などに代表されるような研究重視の大学もあれば,地方私大のように職業能力を高めることに比重が置かれる大学もあるが,いずれの大学においても,大学で身に着けるべき能力は日々変化しているのではないだろうか.

 

私自身は大学教員として教育に携わる上でのポリシーとして,研究と教育の関係性について,教員は当該分野の最新の研究に最大限携わることで,高等教育機関に相応しい教育ができると考えている.しかしながら,一方では大学全入時代の昨今,当該分野の研究にさほどコミットしていなくてもやるべき役割があると考えることも実感している.

海外ではレクチャラーとリサーチャーを完全に分けて専任教員として雇用しているケースもあると聞く.レクチャラーは週十数コマ担当し授業のみを行うことを業務とし,リサーチャーは外部資金獲得,研究および大学院を担当業務とする考え方だ.

限りのある財源を効率よく使うには,このような役割分担を明確にした運営もあるのかもしれない.今回は非常勤と専任の割合についてのテーマなので,レクチャラーとリサーチャーの役割分担とは異なるのだが,以下に大学経営面から考えて非常勤講師の割合が増えることのメリットとデメリットを箇条書きにした.

 

大学経営的観点からみた非常勤講師の割合が増えることの短期的メリットと長期的な問題点

短期的メリット

1.非常勤講師を増やすことにより専任教員の授業負担を減らせる.

2.専任教員よりも安い人件費で済む

3.学生数が増加したり確保できないときにコマ数を調整しやすい.

  (全く望ましいとは思わないですが...あくまでも経営的な視点で)

4.特定の分野に特化した専門的な授業を開講できる.

 

長期的問題点

1.専任が減り非常勤が増えると大学全体で研究業績が落ちる.

  →大学が生産すべき価値創造の根幹にかかわる問題

2.研究を行いにくい環境の非常勤講師が増えると教育の質が低下する.

3.5年の雇い止めの問題の勃発.

4.非常勤講師の確保とコマの割り当て等のマネジメント業務の増加.

 

 

 

学会賞を受賞したこと

久々に学会賞を受賞することができた.6年ぶりということになる.筆頭発表者としての受賞は今回で生涯2回目であった.

 

中には何度も受賞される先生もいるが,40歳を過ぎても未だ2回目,しかも国内のみというのは研究者としては3流かもしれない.それでも,私のなかではやってきたことの方向性が間違っていなかったことを確認するには十分な根拠となったし,この学会での仕事を重要視しようと思う動機となった.

私なりに受賞できた理由を分析してみた.

 

・研究の着眼点として,新しい手法を用いた実践研究ができたこと.

 

・今回の学会に関わって数年して運営面で何らかのお手伝いをしたりして,顔を名前を覚えていただけるようになってきたこと.

 

・今回の研究を皮切りに,今後の発展性が見込めるとうこと.

 

これらの3つの理由が今回の受賞につながったのではないかと思う.

 

研究テーマについての考え方は様々あると思うが,私のなかではメインの分野とサブの分野に分けて考えている.メインの分野は,私のなかで最も重要視しているテーマで,これまでも継続的に研究を進めてきたため,科研費等の採択,論文投稿,査読依頼が来るようなテーマだ.もう一つ,サブのテーマは複数あるのだが,今回の研究のように偶然,共同研究者が新しい測定技術を持っていて研究をスタートさせることができたり,私自身のほんの少しの興味から始めたような研究だ.

だが,最近,私のなかで何がメインで,何がサブか,分からなくなってくることがある.あまりにも色々なことに興味があって,色々な分野に足を突っ込んでいるように感じている.そろそろ,この分野では誰にも負けない,というようになりたいのだが,なかなかそうならない.

 

マサチューセッツ工科大学(MIT)教授の利根川進さんは,1987年に生理学・医学の分野でノーベル賞を受賞されているが,脳神経や学習にも高い関心を寄せて研究を進めている.研究テーマの設定についての問いに「自らの好奇心のなすがままに」と回答されているようだ.大変心強いアドバイスだと感じる.日本にいると,この先生はこの分野の大家だとか,ある分野で突出した方が別の取組みをすると最近どうしたんだろうとか,そういう雰囲気を少なからず感じるが,もっと自由に好奇心がなすままに研究を進められるようになった方がいいと思う.

 

 

 

大学教員の確定申告を考える

本務校以外からの収入が20万円以上ある場合は確定申告が必要である.

 

国税庁のHPに「給与所得者でも確定申告が必要な人」の条件として法令で定められている.詳細を知りたい方は下記を参照.(平成29年4月現在法令等)

No.1900 給与所得者で確定申告が必要な人|所得税|国税庁

 

確定申告が必要な理由を述べようと思う.

本務校が行う年末調整で所得税は,その年の給与所得から控除額を引いた課税所得金額に基づき計算される.よく言うところの累進課税で,課税所得が300万円であれば税率が10%なので,3,000,000円×0.1-97,500円=202,500円の所得税となるが,4000万円を超えると税率が45%なので,40,000,000円×0.45-4,790,000=13,210,000も所得税を納める必要が生じる.(平成29年4月現在法令等で計算)

No.2260 所得税の税率|所得税|国税庁

 

非常勤先からの給与,あるいは執筆した書籍による印税,講演の謝金などの雑収入から源泉される所得税は,課税所得金額が195万円以下は税率が5%で源泉されている.しかし,所得税はその年の合算した課税所得に対して税率が適用される必要がある

したがって,例えば非常勤先からの給与が年間で60万円であったとすると,3万円が給与明細で既に源泉されているが,本務校の年収と非常勤等の他の収入を合わせた年収が900万円だと,税率33%が適用されるので,非常勤先からの徴収額が足りないことになる.非常勤先の給与1ヶ月分ぐらいの所得税をさらに払う必要がある.さらに言うならば,住民税は前年の1月~12月の課税所得にかかってくるので確定申告をしないと住民税の支払額が少なくなってしまう.

したがって,

 

大抵の人は確定申告をすると余分に税金を納める必要が生じる

 

しかし一つ救いがあって,雑収入に対しては必要経費を控除する事ができる.例えば,印税や講演会の謝金であれば集めた資料代やコピー費などが該当するであろう.私は必要経費の領収書を透明のケースにガサっと入れておいて,1年分の領収書を確定申告の時期に整理するようにしている.ノートに張り付けたりする必要はなく,クリップで止めて封筒に入れて確定申告の書類と一緒に提出するようにしている.

 

 

雑所得に対して必要経費を課税所得から控除できるのであれば,非常勤講師として本務校以外の学校から得られた給与に対しても必要経費を考慮できると思うのが筋だと思うのがそこは認められない

例えば,授業を行う為には書籍を執筆する時と同じように資料を集めたり,新聞をコピーしたりする経費がかかるが,その経費は必要経費としては認められない.給与所得には既に一定の控除額が設定されて,課税所得は給与所得より低く計算されている.

 

いやー,税金の徴収は実によくできた仕組みだと思う.頭の良い人もいるものだと感心してしまう.集められた税金で,公共施設が使えたり,社会保障が充実したりするので税金は法律に従ってきちんと支払うべきなのであるが,大学教員にとって,現在の職に就くまでの過程で一文無しで奨学金の借金を抱えながらやってきた身としては,せめて奨学金の返済額ぐらいは課税所得から控除して欲しいと思うのは私だけでしょうか.

 

人生に影響した書籍

 

40歳を過ぎて,平均寿命(男性80.98歳,2016年)の半分が終わったと感じ,おそらく残りの40年の方があっという間に過ぎるであろうと思うと,人生でやり残したことがないように日々充実させていきたいものだと思う.

 しかしながら,人生は短すぎてあれもこれも達成することは難しい.

例えば,医者になって,司法試験に受かり弁護士になって,技術職に就き,一流の商社マンになり,プロスポーツ選手になるなんてことは不可能に近いと言えるだろう.中には上記の2つ,3つをかけ持てるような強者もいるかもしれないが,類まれな才能と努力が必要だろう.

 

自分があきらめた夢や,もう一つやりたかったことなど知らない世界のことを簡単に知れる方法がある.その一つは本を読むことではないだろうか.様々なジャンルの人と仲良くなりお話をすることも見識を広げることにつながるが今回は本について考えてみる.

本を読むことはフィクションであれ,ノンフィクションであれ,他人が考えたこと,経験したことを学ぶことができ,限られた一生の中で素晴らしいことだと思う.そこで私がこれまでに人生を変えるというと大げさかもしれないが,少なからず生き方,考え方に影響したであろう本を紹介する.

 

ヴィクトール・フランクル箸「夜と霧」

 この本との出会いは,とある行政の首長さんが紹介していて知ったのですが非常に衝撃を受けた.あらすじなどは他に書かれているので省略するが,著者がアウシュビッツ収容所で酷い目に遭いながらも,自分を客観視して生きる姿は,どの様な状況に置かれても生きること,正直に生きようとすること,賢く生きようとすることの意義を考えさせられた.生き延びる為には,人の命を奪うもの,良心の逆らうもの,良心のかけらさえ失くすものなど人の生き方についても考えさせられた.また,集団心理についても深く考えさせられた.

 

遠藤周作箸「沈黙」

 この本との出会いは,長崎市外海にある遠藤周作文学館に立ち寄ったことがきっかけとなった.それまで,遠藤周作という作家について名前を知っている程度であったが,たまたま通りかかったこの地で,最高にきれいな夕日をみたこと,そしてそこで手にした「沈黙」を購入した.江戸時代のキリスト教布教とその迫害をテーマにした作品だが,その中の人間模様は生き方を考えさせられる.信念とは何か,神の存在,人間の残虐さ,生きるための手段の取り方など正解がない中でのそれぞれの考え方など大変深い作品だ.

 

なお,この書籍を遠藤周作文学館で手に入れたが,遠藤周作の直筆でサインが書いてあった.

 

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ヘミングウェイ箸「老人と海

 この書籍は私が中学生の時に読んだ.ほとんど内容は忘れてしまっているのだが,主人公が手漕ぎボートのような小船で,カジキマグロを釣り上げるという内容だ.一人の人間対カジキマグロの孤独な勝負,どうすれば勝つことができるのか,大きな相手に対して戦う姿,状況が印象に残っている.そして,その釣り上げたカジキマグロがサメに食べられてしまうが,勝利したことが誇りであり,成功とは何かを考えさせられた.

 

これから先も人生を変えるような,生き方に影響するような本との出会いが楽しみである.なるべくなら若いうちに良い本と出会った方が,その後の人生が長いので望ましいだろう.

 

 

 

 

 

 

 

今まで読んだ自己啓発本は役に立っているのか?

大学卒業後から20年近く経ったが,これまで数々の自己啓発本を読んできたと自負している.自己啓発本を読んではやる気になり,一定期間が過ぎるとその内容が記憶から薄れて行き,数か月経過しては別の自己啓発本を読んでやる気になり・・・ということを何十回と続けてきたように思う.

 

そこでこれまで読んできた自己啓発本を振り返り,その内容をまとめることで理解を深め実行に移せるようにしたいと思う.本の主旨と私の理解がずれていることもあるかと思うが,あくまでも私自身の記憶想起のために書いているのでご容赦いただきたい.

 

最も印象に残っているのはスペンサージョンソン著の「チーズはどこへ行った」である.

この本は,自身をネズミにたとえ,チーズは生きていくための餌であり,一つのチーズにかじりつき,残り少しになってもまだそのチーズにかじりつくような生き方をするのか,チーズが少なくなってくる前に,別のチーズを探す旅にでるような積極的な生き方をするのかを例えている.私自身の生き方に照らし合わせると,20歳代30歳代は冒険型の後者であったかと思うが,40歳を過ぎたころから少し前者になりつつあり,そのうちチーズがなくなるのではと恐ろしく感じる今日この頃である.守るものがあっても常に攻める姿勢で人生を渡りたいものだ.大学経営に置き換えると,学生の数が減ってきているのに従来の業務をこなすだけでは発展性がないばかりか,そのうち高校生に選択されない魅力のない大学になってしまうだろう.そうなる前に魅力あるカリキュラムを提案したり,組織を改編したり,興味の沸くような授業を展開する必要があるだろうと思う.

 

次に思い出すのはブライアントレーシー著の「10年かかるところを2年でできる」や「カエルを食べてしまえ」という本だ。前者の本は新入社員時代にギラギラしていた頃に読んだ.未だにその本の付録についていた21つの行動目標のカードを手帳に入れている.もうボロボロになっているが時々見直すことがある.特に印象に残っているのは,「対人」の項目に「周囲の人と接する時は,最も重要な顧客と接する様にしなさい」というところだ.カエルの方は,一番重要であるが嫌な仕事でやりたくない,後回しにしたい仕事をカエルに例え,その「カエル」=「嫌な仕事」を先に食べてしまえ=やってしまえということだ.

 

その他,ドラッカーの「マネジメント」,「プロフェッショナルの条件」,スティーブンコービーの「7つの習慣」,茂木健一郎の「脳を活かす勉強法」シリーズ,和田秀樹の勉強法に関する書籍,ピーターフランクルの頭が良くなる書籍などなど挙げれきりがない.

 

様々な自己啓発本を読んで思うことは,結局のところ行動するのは自分なので自分自身でやり方を見つける事が大切で,自己啓発本を読んでも能力が向上したり,出世したりすることはないと思う.映画を見て主人公になったつもりになるのと似ているのかもしれない.自己啓発本を読むとあたかも,その本に書かれている仕事のやり方を手に入れたかの様に錯覚してしまうのは何故だろうか.

 

イチロー選手はあるインタビューの中で,あまり本を好んで読まないと言っており,その理由として,本には答えが書かれているので,そこは自分自身で考えたいという様な事を言っていた. なるほど,言っていることはよく理解できる.

本という形式ではなくても,人に伝える指導という場面でも同じようなことが言えるのではないだろうか.一番重要な,肝となる部分は自分で考えなければならないが,その自分で考えるきっかけを作ることが指導者に求められることであろう.

そうであれば,自己啓発本も当人が考えるきっかけを与えるものでないと意味がない.これはコンサルと企業,教師と生徒,指導者と選手,上司と部下などの関係であっても同じことがいえるのではないだろか.

 

 そのように考えると,自分で考えるヒントとなった自己啓発本は実際役にたっているかとも思うが,マニュアル的に〇〇をすべき,△△の行動は□□□のようにすべき,というようなものはあまり役に立たないであろう.

 

結論をまとめると自己啓発本に書かれているような内容を参考に,或いは自己啓発本など読んでいなくても,常に自身で考えて行動し,アウトプットを出せる状態になっていることが重要だと思う.