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大学教員として生きる道

著者は私大の准教授です。大学教員になるまでの経緯、日常の出来事などを記録します。

英語力を鍛える

 

日本人の私たちが海外に行くと苦労するのが語学である.特に英語は中学生から勉強しているにも関わらず,海外の方と実際に話したり,英語の書籍や論文を読んで理解するのは難儀する。

 

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語学の能力は,”話す” ”聞く” ”書く” ”読む” の4つの要素があるが,特に私が英語教育を受けた20~30年程前は ”読む” に特化していたように思う.

私自身もいつかは英語で会話したり,チャンスがあれば海外で仕事をしたいと考えて,これまでも何度も英語にチャレンジしては挫折を繰り返してきたので,その経験を今後のためにまとめてみたい.

 

私が受けてきた英語教育

  • 中学生時代(3年間):学校の授業,塾の授業 高校受験
  • 高校時代(3年間):学校の授業 大学受験
  • 予備校時代(1年間):講義、大学受験
  • 大学1,2年(2年間):講義
  • 社会人1~4年:英会話教室
  • 大学院生時代:英語論文を日本語訳
  • 35~40歳:不定期にインターネット英会話

 

こうやって振り返ってみると,いつにさかのぼっても英語を本気で長い期間,勉強してこなかったように思う.数年,数か月単位に,ちょっとやってはちょっと休んで,という具合なので一向に語学力がUPしなかったのだと思う.

コツコツやることが大切なのはわかるが,英語を専門とするわけではない私が英語学習に時間を費やすぐらいなら,もっと優先順位の高い時間の使い方があると思ってきた.

 

それが,この最近,少しは英語で話したり聞いたりできるようになってきているのではと感じることもある.もし,トータルの学習時間が一定の語学力をつけることに大切なのであれば,30年近くかけてようやくその域に到達してきたのかもしれない.あるいは,この数年取り組んできたインターネットの英会話が良いのかとも思っている.

 

日本人で生まれた以上,英語に対するコンプレックスを克服することはかなりハードルが高いかもしれないが,見えないゴールに向かって,勉強し続けて少しでも語学力を身に着けるしかないのだと思う.一番大切なのは,学習の方法論ではなく英語力をつけたいと思うモチベーションを維持することなのかもしれない.

国際学会に参加する意義

先日,国際学会に参加してきた.

学会に参加した目的は,1)自身の研究発表を行う,2)世界の新しい情報を得る,3)国内外の専門家との交流,4)訪れた国の風土に触れる,などであった.

 

私は今までに国際学会で何度か発表してきたが,自分で言うのもあれだが,発表自体にはそれほど問題ないと感じてきた.英語力の問題もあるのだが,発表は原稿を作成して練習をしていれば何とかこなせると感じる.しかし,問題は発表後のディスカッションタイムである.最近の傾向として口頭発表はディスカッションタイムが長くとられていると感じる.ネイティブとの議論で研究の詳細について,質問の意味を理解し的確に回答することが求められる.しかし,この質問の意味を理解することがなかなか難しかったりする.文化的な背景が異なったり,英語になまりがあったりするとなかなか理解しづらい.特に今回は,マイクの話し声がスピーカーを通して会場全体にはいきわたるが,舞台には届きにくく,発音が聞き取りにくく感じた.いや,しかし,そのような状況でも的確に英語を理解することは求められる.語学力アップについては別の機会にまとめたいと思うが,多くの日本人にとって国際学会での発表は英語力が一番問題となることは間違いない.

 

特に私が専門とする分野では,北米,欧州,豪州が進んでいる.進んでいるというよりは,研究にかける予算が,わが国に比べると一桁,いや二桁ぐらいことなる.私が科研費で何百万円かで行っている研究を,数千万~数億はかけているという印象は受ける.だがしかし,研究はお金を掛ければ良いってものじゃない.小規模でも新しい視点や大事なテーマに取組むこともできるし,インパクトのある内容でアピールすることもできる.そこはアイデア次第だろうが,国を動かすような巨大プロジェクトにはやはり予算は最重要だ.

 

国際学会に来ると必ず交流の場が用意されている.立食形式の休憩所でコーヒーブレイクの時間が設定されていたり,特設会場でディナータイムがあったりする.そのような場面で,海外の研究者と名刺交換をしたりディスカッションすることは大変有意義だ.また,国内の研究者とも国際学会でより密な議論をすることもできる.せっかく国際学会に来ているのだから,国内の人とばかりつるまないで,海外の研究者と交流するべきだという意見もあるだろうが,国内の研究者と交流を図りチーム日本としての結束力を高めることも有意義ではないだろうか?

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最後に訪れた地域の風土に触れることだが,学会には出張できているので仕事をしている以上,学会会場とホテルの間しか行き来してはいけないということが理想なのかもしれない.しかし,空いた時間に観光に行くことは許されるべきであろう.そこに住む人々の暮らしや歴史,文化に触れることは絶対的に必要なことだ.そうでなければ,WEB会議でも良いし,論文だけ読んでいれば比較的新しい情報を手にすることができる.国際学会に来ている以上,その国の文化や風土に触れ,自身の研究とのつながりや各国の情勢などぼんやりと考えることも必要だと思う.

 

人間の思考回路は同じ環境にいては,段々と固定化してくるように思う.新しい環境や人との出会いなどの刺激を受けて,それを今までの自分の思考と組み合わせることで,アイデアを成就させ次の研究に取り組むことが有効だろう.そのように考えると国際学会への参加は大変有意義で年に何回かは海外に出かけられることが理想だと感じる.

 

 

図書館を利用せよ!

研究や勉強が進まなかったら図書館へ行こう.

 

私は以前勤めていた大学で図書委員を行っていた.

大学の教員が図書委員で何をするかって,それはもう図書館の運営そのもので,どうやって学生を図書館に来させるか,どうやって図書の貸し出し冊数を増やすのか,あの手この手で考える委員会であった.図書館を利用する側の立場では,図書館の職員って融通がきかないなぁとか,もっと貸し出し冊数と日数を増やしてくれたらとか,文献複写をもっとスムーズに早くやってほしいなとか,要望ばかり感じていたが,運営する立場になると,図書館の運営にそんなにコストかけているんだとか,古い本を処分する手続きだけでも簡単にはいかないんだなあとか,何で学生はもっと図書館を利用しないのかなとか考えるようになった.

 

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やる気がない時でも,図書館に行くと必ず一所懸命に勉強している人がいる.そのような人をみるとやる気になるものだ.心理学ではモデリングといって,自分と同じような境遇の人の行動をみると自分にもできるのではと思えてくることを言うらしい.

そして,図書館の個室や学習机で論文を書いていると,そのようにしている自分ってなかなかイケているのではないかと思えてくる.そのような状態になると占めたもので仕事が随分はかどる.

 

研究者にとって論文を書くことは重要な仕事の一部だが,なかなか文章が進まないときもある.一日一文章を書くと年に何本もパブリッシュできるのだろうが,私は論文を書くときにまとまった時間がないと思考ができない.また,頭の中で論文を書くスイッチを入れるのに一苦労でそのスイッチが何処にあるのか分からなくなったり,スイッチがすぐに入りにくい.パソコンで言うと何年も使い古していて,起動させてからスムーズに動くのに時間が掛かるような感じだ.だからこそ,ウォームアップが必要で研究の環境を整えることによって,脳がスムーズに働き始める.似たような感覚を持つ人もいるのではないだろうか?

 

今は文献検索は随分楽になった.20年前と比べると雲泥の差で,インターネットの普及のおかげで世界中のありとあらゆる雑誌が短時間で手に入るようになった.逆に情報の渦の中,如何に質の高い論文から情報を得るのかが研究を進める上で重要なテクニックとなる.そして便利に情報が手に入るようになったからこそ,図書館の存在意義として学習環境の場を提供することが重要ではないだろうか.そうであるならば,やる気が出ないときこそ,図書館を利用して自分に鞭打って頑張って勉強するのだ.

 

 

 

 

 

研究者の実力は論文の本数? それとも論文の内容?

大学教員を目指す大学院生,PDにとって論文の本数はとても重要だ.

博士号を取得するために,学術雑誌へのアクセプトが条件になっているケースもあるし,最近は,英語論文でのアクセプト2~3本が博士号の条件になっている大学もある.したがって,博士号を持っているということは英語論文が書けるということは当然であるという見方が一方ではあるといえる.大学教員を目指す若手研究者にとっても,論文の本数は多い方が一般的には優秀な研究者であると見なされると思う.

 

私が専門とする分野は自然科学系なので,人文社会学系では同じことは言えないかもしれないが,論文の本数は多い方が研究者として,あるいは教員として高い評価を得るのは当然であると思う.

 

しかし,若手研究者へのメッセージとしてこれだけは勘違いしないで欲しいと思うことがある.論文は人に評価されるために書いているのではないということだ.研究は社会の未解決な事を明らかにしたり,未知な分野を開拓することに意味がある.営業マンが売り上げで社内で評価されるのとは訳が違う.自然科学系の研究者にとって論文の本数を増やすことは簡単であると思う.同じ分野の研究を続けているのであれば,対象者を変える,方法を少し変えるだけで論文が量産できる.このような方法で,研究業績が沢山ある若手研究者はすぐに見抜かれる.大事なのはオリジナリティ,社会的意義,新規性,インパクト,イノベーションを起せるか,などではないだろうか?

 

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若手研究者にとって数をこなすことと研究の質を高めることの両方が必要だが,あえて言うならば数は重要だ.研究者は歌手や画家と似ていると思うのだが,一発ヒット曲,ヒット作品を出すと一躍有名人になるがそのあと続かない歌手や画家がいる.以前,バルセロナピカソ美術館に行ったときに,ピカソが若い頃に描いた絵画がびっしりと数多く展示されているのを見た.絵の内容は,ピカソの有名な奇抜な作品ではなく,ごく普通のスケッチなどが大半であった.そのような多くの作品を描くなかで,ブレークスルーするポイントがあったのだと思う.はじめからオリジナリティが高く,高インパクトな研究はそう簡単にはできない.そうであるならば,1つ1つ確実にこなしていくような取組みも重要だ.その中でブレークスルーするような域に達する研究がなされると思う.

 

しかしながら,これまでの私の経験上,論文の本数が多いからといって大学の教員公募を通過するとは限らないことは伝えたい.大学教員に採用されるか否かという視点ではマッチングが一番重要だと思う.これはもう,結婚と同じで相手(採用する側)と自分(採用される側)の相性が合うかどうかの方がより重要だと思う.極端な話,大学によっては研究に勢力を出すのならば,教育や事務仕事,学生募集に力を注いでほしいと思っているところもあると思うし,一方,研究をしっかりと行い次世代の研究者を育成して欲しい大学もあるからだ.人事の数だけものさしがあるということになるのであろうが,結婚相手を見つけるときに女性が花嫁修業をしたり,花嫁道具を用意するのと同じで,もちろん男性もきっちりと職業につき男を磨かないといけないのと同じで,研究者である以上,研究業績はしっかりと準備しておいた方が良いだろう.その時に論文の本数なのか論文の内容が評価されるのかは,最終的にはお相手となる大学側の判断になると思う.

 

 

  

科研費に採択されるためにやるべきこと

 

今回は自分への言い聞かせであるので,万人に参考になるかどうか分かりませんが興味のある方はどうぞ.

 

大学教員である以上、科研費男のロマンだ。世界に一つとない新たな挑戦を行い、そのようなチャレンジに対して科研費の採択を受け研究を行い世の中を良い方向に導くことが出来れば最高だと思う.

 

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10年ぐらい前から科研費申請に関するマニュアル本がいくつか出版されている.私も研究者になった初めのうちは興味があってそのような本も手にしたが結局は,実力がないと採択されない.では,その実力とは何かを追及しないといけない.今回はあくまでも科研費に採択される上での実力として考えたい.研究者の実力については別の機会にまとめたい.

 

まず,科研費申請書には初めの数行で研究目的を記入する欄があるので,そこで審査員の目に留まらなければ採択されない.聞くところによると審査員は,正月明けの忙しい時期に一人100件ほどの審査書類に目を通す必要があるとか.そうであるならば尚更,審査員に印象づける必要がある.世界に一つとない新たな挑戦であるかどうかだ。

 

次に,業績欄にしっかりと申請者の筆頭著者名で埋まっているかどうかが重要だろう.申請者自身に研究遂行能力があるのか,研究者の研究環境が目的とする研究を遂行するに値するのかどうか,そのあたりも重要だと思われる.

 

そして,何よりパッションが伝わってくるかどうか.

申請書から,じゃあぜひこの研究を進めて世の中に役立てて欲しいと思わせることができるかどうかが勝負だ.

 

最後には体裁も手を抜くことはできない.誤字脱字のチェックはもちろん,予算の内容,根拠,倫理的配慮など抜かりなく記入することである.

 

研究者として駆け出しの大学院生時代に先輩より,おまえの書いている文章は何が言いたいのかよく分からないと叱られたが,自分の文章を30回読み返せと言われた.そうすると自分なりに文章のつながりなどおかしなところが見えてくるようになってきた.

ちなみにこのブログは,ノーチェックで思いつくままの乱筆ですので,ここまでお付き合いいただきました読者に感謝です.

 

大学の偏差値とは何か?

 

大学はよく難易度別に偏差値でランク分けされて,Sランク,Aランクなど毎年更新されているのを見る.

 

しかし,大学内部から見た偏差値というのを大学教員の立場から考えてみたい.

私は,大学ランクでいうところの中堅大学に勤めているが,学内でも学部や学科によって偏差値は大きくことなり,偏差値40台後半~50台全般ぐらいに分布している.したがって,この大学名別のランキングは学部や学科が考慮されていない場合,あまり意味をなしていない.

 

大学の偏差値は,入試に向けた模試を基準にしていることが多く,偏差値が40台の大学(学部・学科)では,入試に向けた模試を受験せずに本番で試験を受ける学生も多くいる.その場合,ごく数人が受けた模試の結果が偏差値に反映することがあり,実際の学力よりも高い偏差値になったり,低い偏差値になったりすることがある.

 

学生たちと接していて感じることは,同じ偏差値が50ぐらいの学科内でも優秀な学生もいれば,そうでない学生もいる.当たり前のようだが,この偏差値ランクというものがあるせいで,この大学に行っている学生は,大体このぐらいだなというレッテルが貼られているのもどうかと感じることがある.

 

 

 

 

このブログを読んでいる高校生に伝えたいことは,大学選びは偏差値だけではなく,大学に足を運んで選んで欲しいということである.私が高校生の時にはオープンキャンパスなんて言葉はなく,受験をする大学選びは偏差値を基準にすることがほとんどであったように思うが今は大学もかなり開かれているように思う.是非,実際に勉強をする環境を自分の目で確かめた上で進学する大学を選んで欲しいと思う.

 

大学生に伝えたいことは,自分の大学の偏差値を気にせず学問に励んで欲しいと思う.勉強すればするほど脳細胞は活性化されるので,高校生時代の学力=偏差値に縛られないで興味のある分野の勉強をしっかりとして将来につなげて欲しい.

 

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企業の人事担当者に伝えたいことは,採用時に偏差値で足切りをせず埋もれている才能に目を向けてほしい.容易ではないと思うが,個々の学生の将来性を見抜いて欲しい.

 

大学選びは大学教員を目指す研究者にも当てはめることができるかも知れない.日本にある多くの大学は明治以降に設立されており設立に至った経緯や学祖の考え方も大学によって大きく異なる.いくつかの大学に勤めてきて感じるのは同じぐらいの偏差値でも学風が自分に合うかどうかも重要な視点だと思う.

 

一方,現場の感覚として偏差値が70を超える大学で非常勤講師として授業を行った際はとても理解度が高いと感じるし,40台の大学で行う方法とはやり方が異なってくる.しかし,これは集団を対象とした場合であって個々の適性や能力までは考慮していない.

そのように考えると大学名別ランキングの偏差値とは,母集団の平均値を表しているに過ぎず,人を評価する物差しではないということは改めて強調したい.

  

学会について

先日,私が専門としている分野の国内学会に参加してきた.

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学会に行く目的が若いころと少しずつ変化してきたと感じる.

 

研究者として走り出した大学院生時代には,とにかく新しい情報を知ることや関心のある研究に触れることが楽しくて仕方なかった.

 

院生の最後の方や任期付きのポスト時代には,自身の研究を発表することで同じ分野の先生方と交流できることが楽しくなってきた.どこかの大学の先生の目に留まり,引き抜いてくれないかなあなど下心も少し出てきた.

 

そして,現在はもちろん,研究者を目指した初期と同じような好奇心や新しいことを知るモチベーションはあるのだが,他の大学に勤める同僚と大学の環境などについて情報交換することに価値を見出してきた.共同研究の打ち合わせなんかも少しづつ行うようになってきた.近い将来は,自身が教育した学生がよい発表をして周りの先生方に評価されるようになって欲しいと思う.

 

様々な大学の先生方と交流する中で得たことから,若い院生やPD,任期付きの先生に,はっきり言おうと思うが,大学教員といっても大学によって全く環境が異なるということは伝えたい.それりゃそうですよ.学生の入学時の偏差値だって,大学によっては倍ぐらい違いますから.私学だって建学の精神が様々ですので.大学間の差は職業間の差と同じかそれ以上かもしれない.とはいうものの就職活動をしているときに研究機関を選べる立場の研究者って数少ないと思う.就職して実際に働いてみないとわからないことは多々あると思うが,これから就職活動をする大学院生やPDの方には,是非,学会を通じて研究内容のみならず,様々な情報交換をして納得がいく環境を見つけて研究・教育に励んでもらいたいと思う.そして,運よくどこかの大学,研究機関に就職できたら,その環境ででき得る限りの努力をすることで,先が見えてくると思う.と自分にも言い聞かせて科研費申請頑張るぞ!